飼い犬に手を噛まれる...の解釈だって人それぞれ

片道1時間半くらいの出張でしたので、ピカチュウも同伴。セブンコーヒーを買ってから、現場へ向かうのがいつもの流れ...

運転していると、色々なことを考えるのですが、心に引っかかってる言葉とか、消化しきれていない出来事というのは、やはり思い出してしまうものです。それを隣に座る、ピカチュウは全面的に私を味方して傾聴してくれる。ぬいぐるみは絶対に裏切らない心の友だ...と思っている私は寂しい人間だ。


前置きはさておき、本題へ
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「飼い犬に手を噛まれる」って、飼ってやっていたと勘違いしている人が、本性出した瞬間にそれで例えるのだと感じています。ほおぉ、飼っていたのですね?

似ているものに「恩を仇で返す」とかもありますが「恩をかけた」のは、十分見返りを求めて(見込んで)恩をかけていたのに、自分の思うようにならなかったから、そういう表現をしているだけ。自分に都合よく言うことを聞かなかったから「飼っていたのに!!あんなにしてあげたのに!!」という自分の思うようにならなかった「のにのにっていう感情を持った時点でそれは、のにった側に原因がある。

そもそも、犬との上下関係は成立していたのか?
そもそも、その犬の飼い主は他にいないのか?

そもそも、きちんとご飯を与え、環境を整え、犬を飼っていたのか
そもそも、犬が居てくれた?のではないだろうか。

考えていくと...

犬というのは「忠実を代表するたとえ」でしょうが、その忠実なお犬様が噛むということは
よっぽどの何かがあったのではないか?と違う角度で考えられる人はいるのか?

いてくれー!!

その犬は何もなかったのに突然噛んだのか?
何かを守るために噛んだのでは?

食べ物を与えられてなかったのでは?
そもそも犬なのか?
誰にでも噛み付くのか?


噛むなんてひどいね。と思うのか、

噛むようなことをしたんだね。と思うのか

どっち側だ!どちらでもない?

何が真実かは置いといて...

本質を追求していくと、最終的には神様に委ねるしかない。

神様、本当に居るならちゃーんと裁いてくれ!